2009/02/11
思想
昨日の午前中は、事業承継につきお客様を訪問。
午後から、重要な提携先と同行して、お客様のところへ。
リーダーは、テンションではなく、モチベーションを上げることが職務であるとは、先輩経営者の至言。
リーダーこそ、正しい思想を学習せねば^^
自らの軸というか思想がしっかりしていないと、コンサルタントのアドバイスに右往左往する場合もあります。
さて、今週の職業会計人のカリスマ岩永先生による「考える言葉」のテーマは、思想。
思想(H21.2.9)
もう昔話になるのだろうか。世界は、戦後における日本の高度経済成長(昭和30~40年代)を「日本の奇跡」と賞賛したが、同時に「エコノミックアニマル」とか「顔のない日本人」と揶揄されたことがある。
いろいろな問題を抱えつつも、もの凄い勢いで経済成長を遂げていた日本に誇らしくもあった時代だったので、負け犬のひがみ論もあったが、「顔のない日本人」という表現には、正直なところ、心が動揺したことを覚えている。
確かに日本人は、経済を豊かにする能力(知識や技術)への向上心は人一倍旺盛であったが、物事の価値判断に必要な宗教や“思想”となると、企業や学校においてもタブー視する嫌いがあった。その辺の事情は、今も一つも変わっていないわけだから、その意味では「顔のない・・・・・」状況はもっと悪化しているのかも知れない。
「顔のない・・・・・」とは、自分が何であるかを知り得ていないということ、つまり、自分が何であるかを自覚していないということである。自分を表現する言葉を持っていないのである。これは、まさに価値観の問題であり、“思想”について関心を持たないと解決できないことなのである。
“思想”とは、社会や人生に対する体系化された思考といっていいのだろうか。経営人間学では、「“思想”とは、人生や生活の中で理性的反省を試みる場合の思考上の手掛り」となるもの、つまり「思考の製図をするときに欠かせない道具」であり、“思想”はまた、「自己の価値観を映す鏡」だとしている。
また、“思想”をイデオロギーと誤解する人がいるが、その違いを次のように説明している。「“思想”が政治的な力学に利用された状態がイデオロギーであり、自己の価値観を正当化するために使われる。それに対して、“思想”は自己の価値観の間違いを正すために必要とされる・・・・・」。つまり、経営人間学でいう“思想”とは、自分の価値観を高めるために存在するものであり、イデオロギー的な悪用はあってはならないと戒めている。
今盛んにいわれているパラダイムシフトとは、まさに時代の価値観が大きく転換していることを意味しているのであるが、そのような時代環境に生きている私たちは自分の価値観を根本から見つめ直すべきなのであろう。
その意味において、環境の変化は自らの価値観を検証し、高めていく絶好のチャンスなのである。自己革新とは、古い自分と新しい自分との戦いであり、価値観を高めるという意味である。
そのためには、然るべきところで、正しく“思想”を学ぶ必要がある。
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