2009/06/03
第43回医療経済フォーラム・ジャパン
第43回医療経済フォーラム・ジャパンに参加させて頂く。
会場は東京大手町にあるKKRホテル東京。
皇居が一望できる11Fの会議室にお歴々の方々が集う。
政府税制調査会会長も歴任した加藤寛先生の挨拶で、フォーラムの幕が開ける。
医療経済に関する知的議論の始まりだ。
講師は、関西学院大学教授の神野直彦先生。
先生は、大学院に入学する前に、日産自動車に就職している。
その実務体験が影響しているのか、先生の文体は、単なる机上の空論ではない。
行間に夢と希望という「暖かみ」すら感じられる。
先生ご本人と出会う貴重な機会を逃すことは、大いなる機会損失。
講義前に、神野先生の著作にサインを頂く(笑)
今回は、「医療経済と消費税」という壮大なテーマ。
「市場主義の限界」がベースを刻み、「人間の悲哀」がギターを奏でる一つの叙情詩のようだ。
スエーデン語にオムソーリ(omsorg)とラーゴム(lagom)という言葉がある。
前者オムソーリ(omsorg)は、社会サービス全般を表す言葉。
これは、租税を負担し人間の悲しみを分かち合うことを意味する。
人は、悲しみを分かち合うことで、自分の存在が必要不可欠と実感でき、そして幸福を感じる。
租税とは、悲しみを分かち合うことだ。
一方、後者ラーゴム(lagom)は、程よいという言葉。
極端な貧乏ではなく、極端な金持ちも必要ない、中庸の徳を意味する。
経済に置き換えるならば、「市場原理」と「分かち合う原理」のバランスが肝要ということ。
「イースタリンの逆説」によれば、ある一定の水準まで豊かになると、幸福ではなくなるという。
人間の体に例えるならば、豪華な食事では体調を崩すように、粗食と運動が大事ということであろう。
「小さい政府」か「大きい政府」かという議論の前に、日本という国がどうあるべきなのか、壮大なビジョンが必要だ。
政府の歳出においては、ある時期のアメリカのように自己責任を前提として削減するという議論がある一方、歳入においては、ヨーロッパのように消費税を増税するという議論がある。
政府のお金の使い方と集め方で議論の前提が違うのは、国家にビジョンがないからだ。
社会保障には、国家のあり方、ビジョンが必要だ。
経済学には「再分配のパラドクス」という言葉がある。
生活保護のように、貧しい人々に限定して現金を給付すれば、貧困や格差が少なくなるように見える。
でも、現実には、病気や介護、子育てなど貧富に関係なく広く、手厚く保障する方が格差は縮小し、貧困が減少する。
垂直的分配ではなく、水平的分配の方が貧困は減る。
このことを、再分配のパラドクスと言う。
前者のように貧しい人に限定して再分配しよう、と考えている国は米国や英国。
米国や英国の生活保護費は世界で最も多い。
常に、この2カ国でトップ争いをしている。
それに対して、高福祉で知られるスウェーデンでは医療サービスは基本的にタダ。
教育サービスや介護サービスも無料。
そのため、家族が病気になった、子供が学校に通いだした、親に介護が必要になった、と言っても生活保護費を増やす必要がない。
その人が口にする物と身にまとう物だけのお金を給付すれば済む。
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