2010/06/14
夢見る老人介護
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1.福祉国家の誕生
1970年。
わたくしが、この世に生を受けた時期。老人の医療保険がすべて無料化された年でもあります。
この老人医療の無料化で、医療費の割合がどんどん増えていきました。
1980年代の厚生省は、医療費の伸びを抑制しようと、病床数を地域ごとに管理する「地域医療計画」を導入するも、歯止めがかからず、結果、全国にたくさんの高齢者が寝ているだけの病院が出来てしまった。
1988年。
リクルート事件が起こった時期。さらに増加し続ける長期入院高齢者を収容すべく、「老人保健施設」(老健)が作られました。
以前からあった「特別養護老人ホーム」(特養)は、亡くなるまでの施設なので、年間に数パーセントの定員しか入所できない事情があり、老健は、家に帰りやすくすることを期待され、創設されました。入院していた高齢者が退院して家に帰ってから使う在宅サービスや機能回復訓練を継続することが役割の一つです。
2000年。
小渕恵三首相が亡くなった時期。高齢者を家に帰すという老健の目的は、家族の意識、施設の利益など思惑がからみ、その目的を達することができません。
補助金を頂ける老健は、どんどん増え続け、医療費も増加し続ける現状から、介護保険制度が導入されました。
2.介護難民の行方
2006年。
北朝鮮のテポドン2号が日本海に向けて実験としてミサイルを放れた時期。厚生労働省は、「社会的入院」と呼ばれる長期療養型の病床数を減らすことを意図しました。
医療保険を使う「医療保険適用病床」を2006年4月段階で30万床あるものを15万床ほどに減らし、介護保険を使う「介護保険適用病床」は、2012年3月末日で廃止し、「老健」へ転換していくようにと決めたのです。
この改正で、医療難民と介護難民という言葉が生まれ、たくさんの識者、実務家が議論しております。
日本には、長期療養型の病院の他に、最期までいることができる「特養」が約40万床、介護老人保健施設が約31万床あります。
本当に治療しなければならない人を考えると、2006年の厚生労働省案については、妥当のような気もします。
3.小山先生の考え方
小山先生は、介護保険破綻の遠因は制度を作った国だけにあるのではなく、その制度に寄りかかっている国民にもあると喝破しています。
たとえ高齢になっても人は自立を目指さなければならないとし、高齢者の学習意欲に応える「老健」おとなの学校を創設しております。
自立した時点で「卒業」となり、国家に頼らず、高齢者の意志を尊重する。
くもん式を導入しておりますが、子供だけでなく、高齢者にも効果があることに驚愕します。
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