2010/12/13
資産家の20年に関する一考察
ある会計人の会合で、寺島実郎氏の話を拝聴しました。
印象に残った話を書きとめました。
1.資産家の没落
≪質問≫
この20年、日本で一番、ダメージを受けた人は誰でしょう。
皆様は、この問いにつき、誰を連想いたしますか。
≪回答≫
資産家。
20年間、有価証券や不動産が下落し続け、資産家が没落した。
20年前の新橋駅。
1990年の頃は資産インフレの真っ只中。
都心のマンション価格は、8千万円以上の値段が付いていた。
新橋の酒場では、多くのサラリーマンが、愛する家族のため、持家を持つ喜びを語り合う一方、そのローンを一生背負うことに嘆息した。
アルコールが進み、人生の嘆き節が最高潮に近づいたとき、ある夢物語が一瞬ではあるが薄暗い酒場に光がさすのであった。
希望の光とは、資産家の御令嬢と結婚できればローンを組まなくて済むという一縷の望みであった。
ローンを組む必要がないということは、左団扇の生活を意味し、まさに夢のような物語なのだ。
不動産を所有しないサラリーマンは、資産家に対し、嘆息交じりの羨望の眼差しであった。
2.ストックからフローの時代への変遷
≪質問≫
なぜ、日本のサラリーマンは給与が下がり続ける現状を怒らないのか?
≪回答≫
資産家の存在。
現在、ストックからフローの時代へと変遷したといわれる。
100億円の資産家のストックによる利息収入とサラリーマンのフロー収入である給与を比較してみよう。
この例示でフローの時代が到来したことが簡単に説明できる。
現在、定期預金を10年預けた時の金利を、0.3%としよう。
100億円という莫大な資産を有していたとしても利息収入は、300万円。
定期預金は目減りしないが、その資産が不動産や有価証券の場合、元本もかなりの確率で毀損しただろう。
その巨額の定期預金の利子とサラリーマンの給与300万円が等価となる。
人生の幸不幸は、相対的なもの。
サラリーマンの多くは、かつて栄華を誇った資産家の没落を横目で見つつ、その資産家の不幸の残像があるため、自身の不幸を暫し、忘れることができる。
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