2014/12/25
「税理士個人開業の40年を回顧」<275>
「税理士個人開業の40年を回顧」<275>
(12/25)
今年もあと一週間と押しつまってまいりました。
21日にTKC石川県支部主催の月例会で「TKC、税理士会と歩んだ40年」と題して講演させていただきました。
また、その後のファミリー忘年会にも参加しました。
私の方からお願いして高岡市の高田照久先生もゲストとして出席していただく。
一年を締めくくり、講演の内容に合わせて税理士個人開業の40年を回顧してみます。
〇、本年9月30日をもって税理士事務所から税理士法人に移行。
昭和49年2月20日に北陸税理士会に登録し、昭和50年6月1日に税理士事務所を個人開業してから40年の歴史にピリオドを打った。
〇、昭和51年12月にTKC全国会へ入会。
その後、TKC北陸会の企業防衛制度委員長、研修所長、総務規律委員長を経験させていただく。
一番の思い出は、石川県の企業防衛制度3兆円目標を全国で初めて達成し、飯塚毅初代会長から個人実印の感謝状をいただいたことである。
それを契機に中央では近畿会企業防衛制度委員長、中央研修所の研修試験委員長を務めた。
また、カセット「差別化時代の会計事務所戦略」(昭和58年)、冊子「参謀型MASのすすめ」(昭和61年)を発行していただき、全国各地へ二巡ほど講師として出向いた。
その際に、多くの友人と出会ったのは大切な財産である。
飯塚毅初代会長から教えていただいた「動中の禪は、静中の禪に優る」は心にしみている。
〇、北陸税理士会では、昭和54年6月に36歳で金沢支部制度部委員に就任したのが初めて。
その後、金沢支部の常任幹事、副支部長、支部長を経て石川県支部連絡協議会会長、石川県税理士協同組合理事長、北陸税理士政治連盟石川県支部長、北陸税理士会専務理事を務める。
そして平成13年6月に24年ぶりとなる選挙により第18代北陸税理士会会長に選任された。
会長として平成13年の税理士法改正にともなう制度改革など3期6年で218項目の改革改善を行った。
平成18年4月には北陸税理士会設立50周年記念事業として韓国中国を視察し、北陸税理士会の電子申告率全国一の基礎を築いた。
日本税理士会連合会では副会長として情報システム委員会(電子申告認証局の設置)、綱紀監察部、日本税理士国民年金基金理事長などを担当した。
〇、日本医業経営コンサルタント協会での経歴はブログ「遊魚動緑」NO.269(10/25)を参照ください。
本年6月19日の定期総会をもって70歳定年で会長を退任した。
一番の思い出は何と言っても役員の選挙制度への変更と平成24年4月1日付けの公益社団法人への移行である。
それまでは、会長は厚生労働省からの天下りだったが、時に民主党政権(平成21年9月~平成24年12月)で天下りが批判の的になっていた。
そして公益社団法人化を機会に会長・副会長・外部理事を除く理事・監事を選挙で選ぶ制度改革を行った。
また、公益社団法人移行は三年五か月の準備期間を経て実現した。
初代代表理事就任。
周りの協会を見る目がガラリと変わった。
厚生労働省の担当部署も経済課から指導課に変わり、九団体目となる日本看護協会から外部理事に入っていただいた。
本部事務局も東日本橋から日本病院会が所有する三番町の「ホスピタルプラザビル」に移転した。
〇、国税審議会では、平成19年12月に懲戒審査委員を拝命し、平成25年1月には麻生太郎財務大臣の辞令で税理士分科会委員を拝命した。
そして平成26年12月24日の懲戒審査会議が最後に、平成27年1月5日付けで7年間の任期満了となる。
一番の思い出は、税理士の名義貸し行為が税理士業界を蝕むとの発言を重ね、平成26年3月の税理士法改正では「非税理士への名義貸しの禁止」が法律に明記された。
平成24月6月以降今までで名義貸し違反は約50件に上る。
今後の課題は税理士法人のコンプライアンスである。
〇、金沢経済同友会は平成10年6月に入会してから16年、平成24年3月より監事を務めている。
平成23年に台湾の八田與一記念公園竣工式典、平成24には日米交流桜植樹百周年=ワシントン全米さくらまつりに参加しました。
〇、その他、金沢大学の講師と北陸大学の客員教授も節目を感じて本年辞任した。
また、今年は金沢市長選挙と衆議院選挙もあった。
12月に北陸税理士政治連盟の「税理士による岡田直樹後援会」の会長を覚本雅夫先生から私に引き継ぐ総会決議がされた。
岡田直樹先生の改選(参議院6年任期)は平成28年7月25日である。
本年は変化の多い年でしたが、元気で越年できることを幸せに思う。
皆様、良いお年をお迎えください。
写真…税理士法人木村経営ブレーンの二階「木啓庵」庭園(12/25朝写す)
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