2015/10/25
「金沢の三文豪」<305>
金沢市出身の三文豪とは。
〇、徳田秋声(明治4年、横山町に誕生~昭和18年没、73歳)…加賀藩家老横山氏の家臣徳田雲平の三男として誕生。
明治維新後、没落士族の末子として「宿命的に影の薄い生をこの世に享け」た子供であり、4歳で生家を引き払って後は居を転々とし、また病弱であったため小学校へも1年遅れで入学しなければならなかった。
「私は幼い時分から孤独であった。憂鬱の虫が体内に巣くっていた」と記されている。
〇、泉鏡花(明治6年、下新町に誕生~昭和14年没、67歳)…加賀藩象嵌細工の職人の子供。
明治24年に尾崎紅葉に入門を許され紅葉から信頼を得る。
〇室生犀星(明治22年、裏千日町に誕生~昭和37年没、74歳)…加賀藩の足軽頭だった小畠弥左衛門吉種とその女中であるハルという名の女性の間に私生児として生まれた。
生後まもなく生家近くの雨宝院住職だった室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生児として照道の名で戸籍に登録された。
住職の室生家に養子として入ったのは7歳の時であり、このとき室生照道を名乗る。
私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の文学に深い影響を与えた。
「夏の日の匹婦の腹に生まれけり」の句がある。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」の詩句が有名である。
10月20日に金沢学院大学学長で泉鏡花記念館館長の秋山稔先生から「三文豪と歩く金沢」と題したご講演を聞いた。
ゆかりの地と作品をご紹介いただく。
・金沢駅、武蔵が辻、浅野川方面…鏡花のみち、秋声のみち
・金沢駅…秋声「甥」
・近江町周辺…鏡花「卵塔場の天女」
・瓢箪町…秋声「町の踊り場」
・下新町…鏡花「照葉狂言」、鏡花記念館のある町
・暗がり坂…鏡花「茸の舞姫」
・中の橋…鏡花「化鳥」
・馬場小学校、東山寺院群…文学の故郷碑、鏡花「夫人利生記」、「縷紅新草」
・卯辰山…秋声文学碑、鏡花句碑
・東茶屋街…秋声「挿話」
・天神橋周辺…秋声記念館、滝の白糸像
・兼六園周辺から犀川方面…犀星のみち
・兼六園…鏡花「義血侠血」、「桜心中」
・尾山神社…犀星「祇園囃子」
・中川徐町…犀星詩碑「あんずよ花着け、地ぞ早やに輝やけ、あんずよ花着け、あんずよ燃えよ、ああ あんずよ花着け」
・桜橋…犀星「つくしこひしの歌」
・雨宝院…犀星記念館、犀星「性に目覚める頃」、「杏っ子」
・西茶屋街…犀星「性に目覚める頃」
・願念寺…犀星「金沢行脚と生駒萬子」
三文豪はそれぞれの境遇が人生と作品に深く関わっていることを再認識した。
秋山先生は、文学とは見えない人の心を見えるようにすることであると。
秋声はこの世の世界を切り込み、鏡花はあの世の世界を積み上げた。
三文豪の作品を偲び、金沢の市街地をを散策回遊するのも一興である。
写真…書道・顔真流作品展インパーク獅子吼での大筆パフォーマンス(25日)
来年の金沢検定受験の際に、このブログ記事で勉強のおさらいができます!三文豪が混同してしまうのですが、木村先生が素晴らしくまとめて下さいました。
また、秋山先生のお兄様と東京でお話ししたことがございます。秋山先生が新聞に掲載された時など、その記事をお兄様に郵送も致したりしました。機会がありましたら、ぜひ私も秋山先生の講演を拝聴したいと思います。