2017/03/05
「浅田恒博先生のお世話で、第12回・七人の侍の会」<354>
「七人の侍の会」とは、私が平成15年9月に日本税理士国民年金基金理事長に就任したとき、その年の資産運用委員会のメンバー七名で「七人の侍の会」と称したのが始まりである。
当時の資産運用委員会のメンバーは特にパワフルで、平成16年度は国民年金基金の全基金の中で、第1位の運用成績を挙げたのだから大したものだ。
平成17年以来、持ち回り当番で親交を深めていて本年で12回目となる。
本年の世話人、浅田恒博先生は2年前から近畿税理士会会長に就任している。
また、昨年秋に藍綬褒章を受章し1月29日に帝国ホテル大阪で祝賀会が開催された。
七人の侍の中には、2年前から就任している日本税理士会連合会の会長、神津信一先生(東京税理士会会長を経て)もいる。
7万6千人の税理士業界の東西のリーダーとして活躍しておられるのは誇らしい限りである。
11:30に七名が新大阪駅の「千成びょうたん」前に一年ぶりに集合した。
今回の企画は2月26日~27日に「抱腹絶倒、なにわの旅」と題されて、初日は「天満天神の繁昌亭」で上方落語を、2日目は、「なんばグランド花月」で吉本新喜劇を観賞した。
とくに上方落語には感動した。
歴史に裏打ちされた奥深い噺家の伝統話芸はすばらしい。
食事は「つるとんたん宗右衛門町店」と「お好み焼き千房千日前本店」、食い倒れの味を堪能した。
法善寺横町や水掛不動尊にも訪れた。
浅田恒博先生のお父さん浅田博先生(大正10年~平成2年・享年68歳で叙位叙勲を受ける。)は昭和61年7月(30年前)に近畿税理士会会長に就任されているので、親子二代の会長である。
浅田博先生は昭和17年1月に徴兵され、昭和18年12月に海防艦「三宅」に電測科の任務で乗艦し、1年9か月の戦闘を経て、終戦で奇跡的に帰港した。
褒章受章祝賀会で浅田博先生が昭和60年3月に「海防艦三宅戦記~輸送船団を護衛せよ~」を出版されたと聞き、ネットで取り寄せ拝読した。
その記述の中の一部を要約してご紹介する。
「三宅(海防艦)こそ、まさに日本海軍が海上護衛戦の新戦力として渇望した新鋭海防艦の一番艦である。
乗組員は251名。
海防艦三宅は他のどの艦艇より勝り、また操縦性能も良く、一部に浸水しても沈まない構造だ。
大東亜戦争が決定された昭和16年11月、日本の生存と戦争遂行のためには海上交通路の確保が絶対条件であり、そのためには、米潜水艦と航空機による海上交通破壊戦に対抗する専用護衛艦が緊急に必要となった。
終戦までに171隻が建造された。
だが、実際に船団護衛に従事し作戦に参加したのは百何隻。
そのうち、ほとんどの101隻が敵潜水艦や敵機の餌食となり海底に消えていった。
三宅は新鋭艦であったが、致命的な欠陥は速力が遅いことである。
米潜水艦の水上速力が21ノットであり、対潜護衛艦艇としては、すでに本質的要件に欠けていたといえる」
と書かれている。
それでも満身創痍ながら呉軍港にたどり着いた三宅のことを「三宅の爽やかな生涯に心から共感を覚える」と結んでいる。
人間にとって最大にしてかけがえのない財産は、人間関係だと痛感する。
浅田恒博先生、お世話になりありがとうございました。
写真…大阪・天神天満宮の梅(2/26)
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