2017/07/15
「大野弁吉、奇妙キテレツからくりの館」<367>
7月1日に自宅近くの金沢港大野にある「からくり記念館」を見学する。
この記念館は幕末の科学技術者、大野弁吉を中心とした「からくり世界」と、その人物背景や才能、人脈や活躍ぶり、彼の著述の中に見る技術等をパネルや実物資料で紹介している。
大野弁吉(1801~1870…216年前で徳川家斉の時代、十返舎一九が東海道中膝栗毛を出版した頃に生まれる。)の本名は中村屋弁吉という。
京都五条通り羽細工師の子として生まれ、20歳のころ長崎に行き理化学、医学、天文、暦教、鉱山、写真、航海学を習得した後、突然、対馬に赴き朝鮮にも渡ったといわれています。
帰国後、京都に帰り中村屋八右衛門の長女うた(加賀国大野村生まれ)の婿となり、1831年(天保2年)石川郡大野村(現金沢市大野町)に来て永住しました。
金石の回船問屋「銭屋五兵衛」の助言者となり、藩主が弁吉の博学を聞き20人扶持で召し抱えようとしましたが、それに応じず、生涯清貧のうちに過ごしました。
当時としては最先端の科学知識を駆使した発明品の数々は、東芝の創業者で「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重の技術に匹敵するといわれています。
また、一東、鶴寿軒と号し木彫り、ガラス細工、塗り物、蒔絵などのほか、からくり人形には優れた名作を多く残しました。
弁吉自筆の「一東視窮録」は彼の覚え書き綴りで、科学機器エレキテルボルダ式パイルなどの図解、色ガラス、火薬、写真噐、大砲、医療薬品などの製法、調合、寸法などが記述されている。
からくり時計やからくり芝居も見物できる。
訪れたときは子供連れ家族が多く、木製からくりパズルなどで遊んでいた。
小さな子供のいる方は、お子さんを「からくり記念館」に遊びに連れて行かれたら、感性を育む格好な場所だと思う。
また、最近は金沢港に大型観光クルーズ船が多く寄港するようになっているので、銭屋五兵衛記念館とともに近隣観光スポットになることだろう。
写真…ききょう(7/6鞍月)
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