2017/08/15
「木村家はじめ六家の家系図、ようやく完成」<370>
NHKの「ファミリーヒストリー」に感化されて、私の家系図づくりは3月22に開始し、お盆前の8月11日に完成した。
約5か月かかったが、多くのことを知り学ばせていただいた。
家系図には私から見て高祖父から孫まで七世代にわたる親族114名の氏名を記した。
「2の7乗(世代)」=128人、「2の20乗(世代)=1048千人」だから、夫婦2人が2人子供を生み、その子供がさらに2人づつ生んだとしていくと、20世代で石川県の人口ぐらいになってしまいます。
まさに、「人類、皆兄弟」です。
146年前の明治4年(1871年)に戸籍法が制定されたときから戸籍がはじまる。
大政奉還から明治にかけての時代だ。
曽祖父の木村助右衛門は192年前の文政8年(1825年)の生まれである。
江戸幕府が異国船打払令が発令した年だ。
調査には随分と時間と労力がかかったが、それを支えたのは、「ルーツと自分さがし」の想いだった。
はじめは家系図づくりの業者をネットでさがし、ソフトを購入すれば何となくやれると思ったが、そんなに甘くはなかった。
完成した今、私がおすすめしたい家系図づくりは次の点だ。
1、調査はすべて自分で行う方が良い。
業者は表面的な調査になりがちで最終的に満足感は得られない。
家系が広がると自分の家系だけでなく複数の家系に繋がってくるから範囲の判断は親族でないと分からない。
原稿も自分の手で何度も書けば実感がわく。
家系図はエクセル仕様で私の希望を入れて特注した。
2、調査は足繁く運ぶべし。
私は役所に3か所6回、墓地は9か所18回、寺院は4か所訪ねてうち宝集寺(金沢市寺町)は過去帳を見て回答いただいた。
3、業者はネットで知った家系図ソフト会社、近所の書画用品店、知り合いの書道家を別々に私からお願いした。
4、家系図は永久保存するものだから貴重なものにする独自の工夫を。
私は、桐の箱入り、エクセル仕様家系図を巻物で表装、家紋はシールをネットで購入。
5、役所の除籍謄本は自分の直系しか請求できないから、姻族は親族に協力を得ないと分からない。
私は五家の方に協力を仰いだ。
これがきっかけで久しぶりに交流できた。
6、家系図が完成しても子孫が将来追加できるよう、また親族に電送できるようエクセル仕様のUSB(電子データ)を添えた。
7、ファミリーヒストリーの私のブログをUSBに4編加えた。
(1)、「木村の姓」
(2)、「木村家のファミリー・ヒストリー」
(3)、「父・木村喜作の生涯」
(4)、「母・静子の父親・森田六三郎の生涯」
8、この家系図づくりを通して新たな親族の墓石を発見する。
「祖母の母の実家の墓」(白山市成町共同墓地)
「祖母の父の実家の墓」(白山市成町共同墓地)
「祖父の先妻の実家の墓」(白山市村井町墓地)
9、墓石を多く見たので、墓石をつくる時の参考になった。
墓石に「法名、没年月日、俗名、享年(満年齢表示が社会通念で報道機関も満年齢で報道している)」があった方が良い。
10、木村家の宗派は「真宗大谷派」である。
浄土真宗の宗派の1つで、阿弥陀如来一佛を本尊とし、親鸞を宗祖とする。
本山は真宗本廟(通称:東本願寺)。
浄土真宗は真宗十派あり、東本願寺の他に西本願寺などがある。
浄土真宗では「戒名」とは言わず「法名」という。
大谷派と本願寺派の特徴。
焼香の回数は大谷派は2回、本願寺派は1回。
畳の敷き方は大谷派は縦、本願寺派は横。
僧侶の衣の色が違う。
「正信偈(しょうしんげ)」をはじめ読誦する勤行本は同じだが、節回しに違いがある。
新盆(7月15日)旧盆(8月15日)とお盆の時期が異なる理由は、明治時代に暦の国際基準化を目的として行われ、改暦に伴って日本の各行事は30日遅れとなったためである。
旧暦の7月15日に行われていたお盆も、改暦後には新暦の8月15日に行われるようになった。
7月15日の新盆は多摩地区の一部を除く東京、函館、金沢の旧市街地のみで、大多数の地域は8月15日の旧盆だ。
家系図を作成した今夏の墓参りは感慨深いものがある。
写真…六家の家系図
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