2018/06/15
「台湾囲碁ツアー」<400>
6月13日~16日に「佃亜紀子五段と行く台湾囲碁ツアー」に参加しました。
メンバーは囲碁サロン「石心」に縁のある小学生を含む36名。
小学生は教育委員会の承認で公欠とのこと。
13日…夕方に小松空港を出発、夜に台北空港に到着。
台北シティホテルに宿泊。
台湾は日本の九州と同じ広さで人口は2,300万人。
台湾には平成23年5月に、金沢出身の八田與一技師を記念する烏山頭ダム隣接の記念公園竣工式典のときに訪れて以来だ。
14日…国宝級の品が展示されている「故宮博物館」を見学する。
有名な「翆玉白菜」や「肉形石」、「象牙透彫雲竜球」、「毛公鼎」などを鑑賞する
2年前からフラッシュ無しの写真は許可になっている。
その後、衛兵の交代で有名な「忠烈祠」を見学。
次に台北「棋聖棋院」で囲碁交流会。
日本からは28名が参加した。
私も台湾の4段、5段の方と対局した。
最初の方とは握りで私が白番。
終局後に地合計算する。
結果は日本と同じになるとのことだが日本とやり方が随分違う。
予め神野団長のレクチャーを受けていたが、相手のちゃぶ台返し(終局時の盤面の痕跡が残っていない。)のような地合い計算に確認出来るわけもなく、半目負けと言われてもピンとこなかった。
中国ルールは日本人にとって分かりにくい。
・黒で打ち終わるときは、中国ルールは日本ルールより黒が1目多くなる。
中国ルールではセキが無い場合、普通奇数差しかないが稀に偶数差が起きる。
ダメが奇数なら偶数差もあり得るからだ。
・中国ルールでは、どちらか一方を数えて、それを180.5(361÷2)と比較する。
盤面の半数以上を占めていれば勝っているという考え方。
整地の仕方…まず白黒の死に石をとり除く⇒どちらを数えるか決める⇒地の目数を数える⇒次に残った石数を数える⇒地と石数を足す⇒180.5と比較し少なければ盤面負け、多ければ盤面勝ち。
二局目は後半に力負けしたが、相手は対局中ずっと石を持ったまま机の上でころころ音をたてて動かしている。
その仕草が気になる。
日本では、石は着手の直前に握るのがマナーだ。
日本人は勝負とともにマナーを重視する。
勝負は勝つことが大切だが、人間力を高めることはもっと大切だと思っている。
囲碁は人間教育に役立つ所以であろう。
交流会の後、郷愁ただようノスタルジックな街並みの「九扮(人べんに分)」を散策。
15日…デザインの美しい「北投駅」、世界で最も美しい公立図書館ベスト25に選ばれた「台北市立図書館北投分館」を観る。
北投温泉「加賀屋」(和倉温泉・加賀屋が関係)にて昼食と入浴。
願台湾のベニスといわれる「淡水」観光。
折しも台風の影響で雨に見舞われる。
名産品は「北投石」。、
温泉沈殿物によって生成された放射線ラジウム鉱石だ。
夕食後「台北アイ」を観劇。
プログラムは「白蛇伝」。
迫力満点だった。
16日…勝負運の神様関羽を祀る「行天宮」を参拝。
一日約2万人が訪れる。
三国志の関羽は、そろばんを発明したのでも知られる。
「おみくじ」を引く。中吉だった。
御神籤のアドバイザーは私に「家族を大事にするのが健康の秘訣ですよ」と言われた。
最後に蒋介石のメモリアルホール「中正記念堂」を見学。
現地通訳の黄さんは20歳の頃、蒋介石のSPをした経験をしている。
1943年11月(私の生まれた年)、世界第二次大戦中の「カイロ会談」で米英日(ルーズベルト、チャーチル、蒋介石、)が日本の降伏条件の内容について協議した。
蒋介石は日本の分割に反対し開戦前の日本を残すよう擁護したと言われる。
日ソ中立条約を締結していたスターリン会談に参加しなかったが、混乱に乗じてソ連は北方領土を進攻し領置している。
帰りのエバエア便に今回参加の小学2年生「匠くん」と隣り合わせになり、アテンダントから匠くんにプレゼントされた記憶力ゲームの相手を求められて5回もお付き合いした。
彼の記憶力は素晴らしい。
8時20分、小松空港に帰国。
神野正昭団長、佃優子師範、佃亜紀子五段、森榮一さん、熊谷宗恵さん、中山千里さん、亀田栄八さん、石崎孝彦さん、大石泰道さん(大阪の税理士)と談笑しながらの楽しい旅でした。
写真…石川県庁前庭園の花(5/27)
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