2020/11/16
「覺本雅夫先生との思い出」<487>
覺本雅夫先生が11月11日に83歳でご逝去された。
私にとって恩人であり兄とも慕う先生だった。
7月15日朝方に先生から電話いただいたのが最期である。
「介護施設に入っている。税理士法人を増江税理士に承継する予定だ。」とのお話があった。
声が元気だったから安心していた。
昭和51年にTKCに入会したとき覺本先生に出会った。
TKCで私が企業防衛制度推進委員長を拝命しているとき、支部目標を全国で一番乗りしたことで先生から「木村企業防衛庁長官」の異名をいただいた。
昭和54年6月に北陸税理士会金沢支部幹事に就任してからは活動の軸を税理士会に移し覺本先生の後ろ姿を見て学んだ。
覺本先生は森喜朗元首相とは二水高校時代の同級生で、森代議士が初当選したことに発奮して税理士事務所を開業されたと伺ったことがある。
特に印象に残ってるのが視野が広くて判断が的確なところである。
しかも懐も深いので人望が厚い。
北陸税理士会金沢支部では税務署OBが支部長に就く慣例を破り民間出身者として初めて支部長に就かれた。
その意味ではパイオニアであり、覺本先生を後継に据えた高柳利栄先生(平成20年ご逝去)も素晴らしい英断をなされたと思う。
片町の溜まり場は高柳支部長時代からずっと「摩尼」というスナックで、長い間の悲喜こもごもの思い出の場であった。
その摩尼で、平成5年正月に撮った当時の高柳副会長、覺本金沢支部長、木村副支部長の「だんご三兄弟」(私が勝手に名付けた)の写真は懐かしい。
葬儀に参ったとき、喪主の直政様と奥様の久美子様にご挨拶した折りに、この写真がご自宅に飾られているとのお話があった。
覺本先生は自らの会長候補を私に禅譲され、私が平成13年に北陸税理士会会長に就任してからも、また、三選出馬の時も親身なご指導をいただいた。
覺本先生が平成12年に黄綬褒章を受章されたときは共に喜びあった。
私を育ててくれた恩人、
覺本雅夫先生のご冥福を心からお祈りいたします。
写真・・・覺本雅夫先生の葬儀、「だんご三兄弟」の写真、私の叙勲受章時に覺本先生からいただいた「喜怒哀楽」の置物。
覚本雅夫先生の存在感、影響力、感化力、包容力は後に続く後輩に大きな発奮材料になったと推察しています。先生は顔を合わせるといつも優しくユーモアを交えて示唆に富んだ含蓄あるお話をしてくれ、深く敬愛しておりました。心からご冥福をお祈りします。