2022/09/05
「ゴルバチョフ氏死去、その功績と今のロシア」<552>
旧ソビエト連邦の最後の指導者で民主化と東西冷戦終結に大きく貢献したミハイル・ゴルバチョフ氏が8/30に91歳で亡くなった。
今、ロシアのプーチン大統領がウクライナへ進攻する中、ゴルバチョフ氏の民主化が忘れられようとしています。
ゴルバチョフ氏は1985年3月、54歳の若さでソビエト共産党書記長に就任しました。
しかし、ゴルバチョフの指導する未来を誰も予想出来ませんでした。
ソビエト連邦では、共産党一党独裁、社会主義計画経済、秘密警察KGBによる厳しい監視が行われていたが、欧米への経済的立ち遅れで社会の停滞感が溢れ、若者は共産主義から離れていた。
そこで、ゴルバチョフはペレストロイカという政治改革とグラスノスチ(情報公開)を始めた。
民主的社会主義を目指し欧米との協調路線に転換する。
そして1985年、アメリカ合衆国レーガン大統領と冷戦終結と核軍縮に合意し、1987年のINF中距離核ミサイル全廃条約に結びついている。
超大国の指導者としての責任と人道主義にもとづく合意となった。
そして、1989年にベルリンの壁崩壊に繋がり東欧諸国が民主化した。
1990年、訪日し海部首相と領土問題として北方領土4島を初めて明記署名し、1991年にはノーベル平和賞を受賞した。
人々の自由への思いが体制改革をもたらした。
そして、ゴルバチョフは連邦崩壊に最後まで反対したが、ロシアとウクライナの自立の動きと共産党保守派のゴルバチョフ批判に勝てず、1991年にロシア・ウクライナ・ベラルーシの3か国首脳の合意でソビエト連邦が崩壊した。
ゴルバチョフは民主的社会主義は維持したかったが時代の流れに逆らえなかった。
ゴルバチョフはウクライナへの軍事進攻に対して「人間の命ほど大切なものはない」と対話による解決を訴えた。
ゴルバチョフはロシア南部出身の農民の父とウクライナ出身の農民の母の間に生まれ、スターリン時代の弾圧を家族が経験している。
プーチンはゴルバチョフに対して、口約束を信じた失敗と欧米を信じ過ぎて国益を損ねたと批判。
ゴルバチョフとプーチンの違い。
プーチンは力による支配。
ゴルバチョフはロシアに自由が必要という考え方。
東西冷戦を終結させたゴルバチョフに敬意を表するとともに、ロシアは軍事力でなく国際協調の道を選んで欲しいものである。
写真・・・NHK「時論公論」(8/31)。
この記事へのコメントを書く